HOME > インタビュー > 第15回:森山威男さんが語る「ピットイン」との激動の時代<後編>

【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち

第15回:森山威男さんが語る「ピットイン」との激動の時代<後編>

公開日 2011/02/15 17:50 インタビューと文・田中伊佐資
  • Twitter
  • FaceBook
  • LINE


森山威男SEXTET『Central Park East』2010年7月17日発売 ¥2,625
これ以上山下さんと一緒に続けたら
抜き差しならなくなると思い脱退


佐藤:そして75年、森山さんは山下洋輔トリオを脱退することになります。30歳のときですね。

森山:別に仲が悪くなったわけではないですよ。この生き方でいいのかな、という不安に対する答えが欲しかったのです。それで、とにかく1度立ち止まって深く考えてみたいと思いました。「決断するなら、いまだな、これ以上一緒に続けていたら抜き差しできなくなるな」と感じましてね。翌年にはアメリカもロシアも公演が決まっていましたから。

佐藤:69年の結成ですから、6年間というのは長い年月です。

森山:中味が濃い毎日でした。1カ月に20回ぐらいハードなライヴをやっていました。山下さんと会わない日はなかったですよ。仕事がなくても話をしたり飲んだり、麻雀やったりね。

佐藤:辞めると聞いて、山下さんはどんなリアクションでしたか。

森山:辛かったと思います。へんかもしれませんが、私も同じです。嫌いになったわけではないですからね。ただどうしても、ここで1度止まってひとつの答えを出したかった。その答えが出れば、すぐまた復活してもいいとさえ思っていました。

佐藤:山下さんに後任ドラマーは誰がいいかと訊かれたそうですね。

森山:ええ。言葉に詰まりました。音楽的、技術的なことではなくて、もっと本質的なところで精神を合致させないとあのような演奏はできないわけです。いまでも山下さんとセッションをすると一瞬にしてあの時代に戻ってしまいますね。あの人とでなければできないことがあるんです。山下さんもそう思っているようです。精神的には山下さんとずっと繋がっていると思っています。


良武さんの誘いで復帰を果たす
77年にライヴアルバムを発売


佐藤:森山さんがトリオを脱退して、しばらくブランクがありました。

森山:2年近く一切ドラムを叩きませんでした。そして現場に戻るように持ちかけてくれたのが良武さんですよ。

佐藤:そりゃもう、一刻も早く復活してもらいたい気持ちでいっぱいでした。

森山:それに軽く応じて、じゃあ久しぶりにみんなの前で恥でもかいてみるかという感じで当日「ピットイン」に向かったら、道の途中に行列ができていたんですよ。何かあるんですかと訊いたら、森山威男が出るんだよとか言われてね(笑)。驚きましたよ。

佐藤:ピアノの板橋文夫バンドでしたね。

森山:久しぶりの演奏は気持ちよかった。

佐藤:その後、板橋は森山威男グループに欠かせないメンバーになります。

森山:彼には感謝しています。私はクラシックの次にフリージャズですからね。4ビートときたらアマチュア並みでした。4ビートは彼に仕込んでもらったようなものです。

佐藤:森山さんは演歌を歌いながらドラムソロを叩くと言っていましたが、板橋も日本的ないい旋律を弾きますね。

森山:日本人の心に訴えるメロディね。山下さんの影響もあるんだけど、いいピアニストさえいれば、そのバンドで自分らしいサウンドを出せるという自信はあります。


前回も掲載した「FLUSH UP」のライナーノートの裏にある写真。左より板橋文夫(P)、高橋知巳(Sax)、望月英明(B)、森山威男(Ds)
佐藤:それで77年の3月に、サックスの高橋知己とベースの望月英明を交えた4人がピットインに出演しました。そのライヴを収めた『FLUSH UP』が、森山さんが山下トリオを脱退してからの第一歩となります。まったくブランクを感じさせない演奏でしたね。

森山:芸大受験の前から1日8時間ぐらいドラムを叩き続けてきて、プロになっても激しいステージをこなしていましたから、ちょっとぐらい休んでも影響はないです。叩くことよりも考えることが重要なんです。共演者がこう来たらこう返すというようなイメージですね。充電時代にそれが養われたと思っています。


次ページエルヴィン・ジョーンズが演ってきた正月興行を任され、特別な思いを理解

前へ 1 2 3 次へ

この記事をシェアする

  • Twitter
  • FaceBook
  • LINE