【特別企画】長寿番組の裏側をディレクターが明かす
ここでしか聴けない超濃厚ジャズ専門番組 − 寺島靖国「ジャズ喫茶MUSICBIRD」の裏側
音楽専門の衛星デジタルラジオ「MUSIC BIRD(ミュージックバード)」には、前身番組から15年に渡って続くジャズ専門の長寿番組が存在する。音元出版刊行雑誌でも活躍する寺島靖国氏がパーソナリティを務める『ジャズ喫茶「MUSIC BIRD』だ。強烈な個性の出演者陣が、ジャズ、音楽だけに留まらない様々なこだわりをぶつける濃厚な番組の裏側を、同番組ディレクターが明かした。
なお、同サービスでは加入すると月額聴取料金が最大2ヶ月分無料になるほか、アンケート回答でもれなくQUOカード2,000円分をプレゼントするなどのキャンペーンも現在実施しており、メールで資料請求を受け付けている。
<スタッフより>
◆寺島靖国のラジオが聴けるのはここだけ!
寺島靖国出演、毎週土曜日14:00〜からお送りしている『ジャズ喫茶「MUSIC BIRD』。前身の「PCMジャズ喫茶」から数え15年も続く長寿番組。根強いファンの方々に支えられています。2時間番組が1時間番組に編成が変更されたとき、それに対し抗議の血判状が届いたことも!長くやっているからこそ様々な歴史がある番組です。
いい時も悪い時も裏側をずっと見続けているディレクターに『ジャズ喫茶「MUSIC BIRD』」について語ってもらいました。
<ディレクターより>
◆「PCMジャズ喫茶」から「ジャズ喫茶MUSICBIRD」へ
1998年4月11日が第1回目の放送だから15年間もやっていることになる。正直こんな長寿番組になるとは発足当時想像もしなかった。
番組が出来たきっかけは『激辛トーク・セッション』という寺島靖国氏と中山康樹氏によるトーク番組が短期間で空中分解したことである。元々喧嘩をすることを前提に作られた番組だから仕方がないが予想通りというか、寺島氏はある日、何が原因だったか思い出さないが突然激昂し2スタのドアを蹴飛ばして『やめる!』と一言出て行った。当時60歳になったばかりの寺島氏は結構瞬間湯沸かし器だったのだ。
そこで私は寺島氏に別の番組を持ちかけた。実際に吉祥寺『MEG」のオーナーである寺島氏に番組上でのヴァーチャルなジャズ喫茶の店主になってもらい、そこにCD、LPなどを持ち込んでくる常連客とあーだこーだのジャズ論をかわすという番組である。タイトルは『Blue & Sentimental〜PCMジャズ喫茶』(まもなくPCMジャズ喫茶だけになってしまう)。
初代の常連客役はディスクユニオンの山本隆氏だったがわずか3本で降板(現在は「Brand-new CD」に出演中)。別に山本氏に非があった訳ではない。もっと強烈な個性の常連客が山本氏を押しのけて居座ったのだ。自らをスーパー・エディターと名乗る安原氏が『ジャズファンのヤスケンだ!番組やらせろ!』と押しかけてきたのである。
とにかくこのヤスケンさんはよくしゃべった。番組が始まって一曲目がかかるまで45分もかかったのはこの人が最初である。2時間の音楽番組なのに5曲しかかからなかったことすらある(通常1時間番組でも最低10曲はかかるものだ)。
社会を揺るがすような大事件がおこった時などは特にそうだった。ディレクターの立場としてこの番組が生放送でなかったことを神に感謝したことが何度あったことか。危険なくらいに『歯に衣をきせない』物言いで番組をかき回していた。
『話が長過ぎる!ジャズの番組だからジャズをかけろ!』と抗議してきたリスナーもかなりあったらしい。その最強硬派が横須賀のオーディオ王医師のM氏だった。しかしM氏は後に番組にゲスト出演した時一曲目がかかるまでの記録を皮肉にも更新してしまった。50分が現在までの最長無音楽記録である。
しかしヤスケンさんが番組に大いに貢献した部分も見逃せない。ジャズの話一辺倒になりがちなジャズ番組に別のジャンルの文化を持ち込んだことである。文学の話が多かったが、映画、時事評論、はたまた下ネタなど実に範囲が広かった。その安原氏も病魔には勝てず2002年12月14日の放送を最後にこの世を去る。
次に寺島氏は若手の常連客を二人選ぶ。オーディオ評論で活躍中の田中伊佐資氏とカメラマンの山本博道氏である。番組がオーディオ指向にグンと振れたが10ヶ月位でこの二人の客は別番組『PCMオーディオ探検隊』を始めることになる。そして2003年10月からご存知岩浪洋三氏、オーディオ評論家長澤祥氏の二人が新常連客として参加、これに加えて『謎の人妻A』という覆面女性客も時々参加。S寺島氏のM対象になっていく。
このメンバーは『200歳トリオ』(後に『210歳トリオ』)として2009年5月長澤氏の突然の引退まで実に6年近くも続いた。寺島氏・岩浪氏の二人になってここからはゲストの時代になる。毎回様々なジャンルで活躍中のゲストを呼ぶ形だ。ジャズ評論家、ミュージシャン、ジャズ喫茶店主、レコード会社プロデューサー、ジャズ関係出版社の編集長、オーディオ・メーカーの人といった人が主なるゲストになった。そんな中2010年の秋に岩浪氏が腺ガンで入院。これは番組にとってダメージが大きかった。番組終了をまじめに寺島氏と話し合ったのもこの頃である。
岩浪氏は2ヶ月ほどで退院され番組に復帰したが、不在中にあらためて氏の存在の大きさがわかった。2011年8月放送分から番組のタイトルが『ジャズ喫茶MUSICBIRD』に変わる。ミュージックバードがPCM放送でなくなったためである。なんのひねりもないベタなタイトルだけど最近は慣れてきたようだ。2012年は悲しい年だった。まず年の初めに元レギュラー出演者のカメラマン山本博道氏が死去。享年53歳だった。そして2年間の闘病生活のかいもなく岩浪洋三氏も同年10月5日79歳でこの世を去った。さすがの寺島氏もしばらく落ち込んでいたが2013年になると元気を取り戻し現在やる気十分だ。なんなんだこの75歳の元気は。。。
(ディレクター 太田 俊)
◇ ◇ ◇
標準モデルよりもさらに音質を追求したチューナー2機種(レビュー記事)を用意するなど、“高音質”であることにもこだわる同サービス。
資料請求は下記事項を記入の上、メールにて受け付けている。
(資料請求申込み事項)
・氏名
・郵便番号・住所
・電話番号
・メールアドレス
なお、同サービスでは加入すると月額聴取料金が最大2ヶ月分無料になるほか、アンケート回答でもれなくQUOカード2,000円分をプレゼントするなどのキャンペーンも現在実施しており、メールで資料請求を受け付けている。
<スタッフより>
◆寺島靖国のラジオが聴けるのはここだけ!
寺島靖国出演、毎週土曜日14:00〜からお送りしている『ジャズ喫茶「MUSIC BIRD』。前身の「PCMジャズ喫茶」から数え15年も続く長寿番組。根強いファンの方々に支えられています。2時間番組が1時間番組に編成が変更されたとき、それに対し抗議の血判状が届いたことも!長くやっているからこそ様々な歴史がある番組です。
いい時も悪い時も裏側をずっと見続けているディレクターに『ジャズ喫茶「MUSIC BIRD』」について語ってもらいました。
<ディレクターより>
◆「PCMジャズ喫茶」から「ジャズ喫茶MUSICBIRD」へ
1998年4月11日が第1回目の放送だから15年間もやっていることになる。正直こんな長寿番組になるとは発足当時想像もしなかった。
番組が出来たきっかけは『激辛トーク・セッション』という寺島靖国氏と中山康樹氏によるトーク番組が短期間で空中分解したことである。元々喧嘩をすることを前提に作られた番組だから仕方がないが予想通りというか、寺島氏はある日、何が原因だったか思い出さないが突然激昂し2スタのドアを蹴飛ばして『やめる!』と一言出て行った。当時60歳になったばかりの寺島氏は結構瞬間湯沸かし器だったのだ。
そこで私は寺島氏に別の番組を持ちかけた。実際に吉祥寺『MEG」のオーナーである寺島氏に番組上でのヴァーチャルなジャズ喫茶の店主になってもらい、そこにCD、LPなどを持ち込んでくる常連客とあーだこーだのジャズ論をかわすという番組である。タイトルは『Blue & Sentimental〜PCMジャズ喫茶』(まもなくPCMジャズ喫茶だけになってしまう)。
初代の常連客役はディスクユニオンの山本隆氏だったがわずか3本で降板(現在は「Brand-new CD」に出演中)。別に山本氏に非があった訳ではない。もっと強烈な個性の常連客が山本氏を押しのけて居座ったのだ。自らをスーパー・エディターと名乗る安原氏が『ジャズファンのヤスケンだ!番組やらせろ!』と押しかけてきたのである。
とにかくこのヤスケンさんはよくしゃべった。番組が始まって一曲目がかかるまで45分もかかったのはこの人が最初である。2時間の音楽番組なのに5曲しかかからなかったことすらある(通常1時間番組でも最低10曲はかかるものだ)。
社会を揺るがすような大事件がおこった時などは特にそうだった。ディレクターの立場としてこの番組が生放送でなかったことを神に感謝したことが何度あったことか。危険なくらいに『歯に衣をきせない』物言いで番組をかき回していた。
『話が長過ぎる!ジャズの番組だからジャズをかけろ!』と抗議してきたリスナーもかなりあったらしい。その最強硬派が横須賀のオーディオ王医師のM氏だった。しかしM氏は後に番組にゲスト出演した時一曲目がかかるまでの記録を皮肉にも更新してしまった。50分が現在までの最長無音楽記録である。
しかしヤスケンさんが番組に大いに貢献した部分も見逃せない。ジャズの話一辺倒になりがちなジャズ番組に別のジャンルの文化を持ち込んだことである。文学の話が多かったが、映画、時事評論、はたまた下ネタなど実に範囲が広かった。その安原氏も病魔には勝てず2002年12月14日の放送を最後にこの世を去る。
次に寺島氏は若手の常連客を二人選ぶ。オーディオ評論で活躍中の田中伊佐資氏とカメラマンの山本博道氏である。番組がオーディオ指向にグンと振れたが10ヶ月位でこの二人の客は別番組『PCMオーディオ探検隊』を始めることになる。そして2003年10月からご存知岩浪洋三氏、オーディオ評論家長澤祥氏の二人が新常連客として参加、これに加えて『謎の人妻A』という覆面女性客も時々参加。S寺島氏のM対象になっていく。
このメンバーは『200歳トリオ』(後に『210歳トリオ』)として2009年5月長澤氏の突然の引退まで実に6年近くも続いた。寺島氏・岩浪氏の二人になってここからはゲストの時代になる。毎回様々なジャンルで活躍中のゲストを呼ぶ形だ。ジャズ評論家、ミュージシャン、ジャズ喫茶店主、レコード会社プロデューサー、ジャズ関係出版社の編集長、オーディオ・メーカーの人といった人が主なるゲストになった。そんな中2010年の秋に岩浪氏が腺ガンで入院。これは番組にとってダメージが大きかった。番組終了をまじめに寺島氏と話し合ったのもこの頃である。
岩浪氏は2ヶ月ほどで退院され番組に復帰したが、不在中にあらためて氏の存在の大きさがわかった。2011年8月放送分から番組のタイトルが『ジャズ喫茶MUSICBIRD』に変わる。ミュージックバードがPCM放送でなくなったためである。なんのひねりもないベタなタイトルだけど最近は慣れてきたようだ。2012年は悲しい年だった。まず年の初めに元レギュラー出演者のカメラマン山本博道氏が死去。享年53歳だった。そして2年間の闘病生活のかいもなく岩浪洋三氏も同年10月5日79歳でこの世を去った。さすがの寺島氏もしばらく落ち込んでいたが2013年になると元気を取り戻し現在やる気十分だ。なんなんだこの75歳の元気は。。。
(ディレクター 太田 俊)
標準モデルよりもさらに音質を追求したチューナー2機種(レビュー記事)を用意するなど、“高音質”であることにもこだわる同サービス。
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