アナログマスターを192kHz/24bitデジタルリマスタリング

クリプトン、HQM STOREでチューリップのベスト盤をハイレゾ配信

公開日 2014/05/20 16:55 ファイル・ウェブ編集部
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こうした状況において、チューリップと新田氏は、様々な新しい録音手法にチャレンジしていったのだという。それは後続のアーティストに影響を与え、歌謡曲の時代にフォークやロック、洋楽テイストのニューミュージックを生み出すに至った。新田氏はチューリップの録音におけるエピソードも具体的に語ってくれた。

チューリップはヒットを連発しただけでなく、実験集団だったと語る新田氏

「ビートルズの作品において、同じような音色のピアノは思ったより少ないのです。例えば『Hey Jude』と『Let it Be』ではピアノの音色はかなり異なりますよね。しかし、そんな中にも1小節聴けばビートルズだ!とわかる音がある。これを財津君も、私も追いかけたのだと思います」(新田氏)。

「私たちはいつも、フタの開いたグランドピアノの中に頭を突っ込んでいました。そして、ピアノの孔のなかにマイクを突っ込んで録音するということを始めたのです。最初はノイマンのコンデンサーマイクを突っ込みましたが、そのうちアタックや刺激がもっと欲しくなり、シュアなどのダイナミック型マイクを併用するようになりました。下手すると、そうとう位相の怪しい音なのですが、そこにこそオリジナルな音があったのです。ポジションも含めて試行錯誤しました。当時のチューリップはまさに実験集団で、ただヒットを量産しただけでなく、音作りや音楽性の点でも先駆者として後の音楽シーンに大きな影響を与えたのです」(新田氏)。

新田氏がプロデューサーとしてクレジットされているチューリップのレコード

なお、チューリップのセカンドアルバムにはプロデューサーとして新田氏の名前がクレジットされているが、これも当時としては画期的なことだったという。「ビートルズにおけるジョージ・マーティンの例があったように、これからはプロデューサーの名前でレコードが売れる時代だと考えたのです。しかし、当時の東芝の上層部は『営業担当から工場勤務まで全員でレコードを作っているのだ』となかなか首を縦に振ってくれませんでした。それを何とか説得して、チューリップの2枚目からクレジットを実現しました」(新田氏)。後の音楽シーンにおけるプロデューサーの重要性を考えると、これがいかに画期的だったかわかるだろう。

■ハイレゾが取り戻した音楽の本質

今回のチューリップのハイレゾ配信については、新田氏はCD以降において技術の進化が音質の進化ではなくなっていたという自身の考えを示しながら、その意義について語ってくれた。

「CBS SONYが1982年にCDを発売したとき、私の在籍していた東芝EMIをはじめとするレコード会社はCDに対して懐疑的でした。それでも1984年には、CD事業へ参入したのです。当時、CDの業界シェアは5%ほどだったと記憶しています」(新田氏)。このときのCDの積極的な普及が、後々の音質の問題の根源になっているというのだ。

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